昼下がりの非常階段
気分を落ち着かせたいとき、ふと一人になりたいとき、よくビルの非常階段へ行く。そこに行けば、なにがしかの安心感を得ることができた。日のあたらない、ひんやりとした階段に腰を下ろし頭を休めると日常の煩雑な物事がしばし僕に猶予を与えてくれる。あなたを含めて、すべての人々を取り巻くあらゆる物事がこの社会を動かしているとするならば、そのいかなる物事もここには入り込んで来ない。それは、ここが非常時に使用される空間であるからだと思う。非常時に意味をもつ空間は、日常では存在する意味を失いつつ存在している。そして僕はそういう曖昧な空間を利用して自分を落ち着かせる。
今日もこの高田馬場駅近くにあるビルに来ていて、ふと非常階段に舞い込んだ。そこには静寂と共に、心地よい非常階段らしい営みがあった。ときおり、コツコツと音を立ててバインダーを小脇に挟んだ女性が降りてくる。踊り場では数人の若者が話している。階段に腰掛けた学生が膝の上でテキストをトレイの代わりにサンドウィッチをほおばっている。みんな、どこからともなくやって来ては、また日常へ戻ってゆく。まるで安らぎを充電するかのように。
もう一つだけ、非常階段。
もうずいぶん前のことなるけれど、都内の雑居ビルでアルバイトをしていた頃、夕方の休憩時間に非常階段でひとり休んでいたことがあった。そこは、その時刻になると隣接するビルの合間を縫って、西日がさぁっと差し込む素晴らしい階段だった。ある日、いつものようにそこへ向かうと先客がひとりいた。やがてその日の夕方も西日が差し込み、僕たちはふたりしてその光線に包まれた。その一時、確固たる秘密めいたものを共有した気持ちになったんだ。結局、その先客とは一言も口をきかないままアルバイトは終わってしまい、今ではもう顔を思い出すことさえできない。そして、あの西日差し込む非常階段を共有した仲として僕たちはお互いを気づかぬままに今もどこかで存在し合うのだろう。一度あの光を体験すると、あの光景はなかなか記憶から消せるものではない。あの瞬間、確かに僕たちはお互い言葉にならない想いで顔を見合わせたのですから。
hanalei malte 著「life, love, and the internet」