interviewee num.3 kumiko

interviewee num.3 kumiko

白衣を取った彼女はバリアント・イエローのジーンズに紺色のハイネック・セーターで現れた。ヘアピンを抜かれた彼女のロングヘアがたっぷりと肩にかかっている。三笠中央病院に勤務する彼女はとても感じのいい27歳の女性。彼女が地方の病院で看護婦をしていることに少々不釣り合いな感覚を覚えてしまう。もちろんどこの地方にだって、そしてどんな職業にも感じのいい女性はいるのだけれど、彼女の容姿だけを見ていると、それはファッション誌のグラビアでも、映画の主演女優だって良かったんじゃないかって気持ちになってくる。

「毎日、患者さんのお世話をしているでしょ、そうしているとね、患者さんの頭の上に電球が見えてくるのよね。その電球は命の明かりを灯(とも)しているの。もう先の長くない患者さんの電球は今にも消えそうだし、ちょっとした外傷で入院している患者さんの電球はサンサンと輝いているわ。病院で働いている以上、人の死はわたしの日常のかなり近いところにあるの。だってそうでしょ、昨日まで体を拭いてあげていたお爺さんが今日はもう霊安室なのよ。それはもう、お爺さんが『いる』じゃなくて、人体が『ある』なの。そういう現実を目の当たりにして毎日を送ることに始めは戸惑ったわ。でもね、結局、人というものがどのようにして日々を送り、生涯を全うしていくのかについて考えるいい機会になったんだと今は思ってるわ。人ってなんやかんや言ったところで所詮、一生物としての個体なのよ。他の生物と同じく、成長するとあとは死に向かって老化していくに過ぎないのよ。病室の窓際でしおれてゆく百合の花と同じよ。そうね、ちょっとした違いといえば、その過程で人は他の生物よりも多少複雑な意味付けをしているというくらいのことかしら。もっとも百合の花にだって百合の花なりの私たちが思いもつかないような複雑な意味付けの過程があるのかもしれないわね。そんなこと、わたしにはわからないわ。」

彼女はテーブルの下で足を組み替えた。目の前のバリアント・イエローなジーンズと、記憶の中の白衣のナース、その対比がとても心地よかった。

「今日一日が過ぎていった、今週が過ぎていった、今月が過ぎていった、一つの季節が過ぎ去った、そしてこの一年が終わった。これがせいぜい100回近く繰り返されること、それが人の生涯としての絶対量なのよ。そしてその生涯の後ろの方、ほとんどの部分は生物としての下降線をただ辿っているのが現実よ。そう考えると自分が今日一日を、このひとときをどのようにして過ごすべきかということについて敏感にならずにはいられなくなるわ。がんばってチャレンジし続けるのも良し、自然体で背伸びせずにやっていくも良し、自分らしさをいかにして見つけるか、そういうことが大切なんじゃないかなぁ。人が生きるのは本当に難しいわ。それは自分の評価を自分自身の尺度で計ることが困難だからだと思うの。社会の尺度、他人の尺度で自分を計ること、計られることに振り回され過ぎていることの悲劇かなぁ。」

彼女と話していると、「僕が僕でいることの大切さ」みたいな自意識がきちんと整理されていく錯覚に陥った。もしかしたらそれは錯覚ではなくて、本当に僕が探している自分の場所、姿みたいなものにたどり着くための大切な示唆を彼女が与えてくれているのかもしれなかった。そのことに気づいた瞬間、僕は彼女と話す一方で、同時にもう一人の僕自身と懸命に対話を始めていた。いつしか外は暗くなり、テーブルのランプが彼女の横顔を黄金色に照らし、それでも僕たちは時間を忘れていろいろなことを話し合った。僕たちはお互いに会話をむさぼり合い、果てることなく、おそらく、ふたりして同じ何かを求めていた。ふたりしてひとつの答えを探り当てようと懸命になっていたのだろう。深くシンクロした濃密な対話だった。

hanalei malte 著「life, love, and the internet」

タイトルとURLをコピーしました