八百屋さん、がんばれ

八百屋さん、がんばれ

それは都内にある八百屋さん。昔ながらの八百屋さん。

父親は毎朝バンに乗って市場へ向かい、仕入れた野菜を店先に並べた。母親は台所で家事をするときそのままの普段着で店番をしていた。そして母親がいないときは娘が代わってレジに入った。これがこの店にとっての当たり前の日常だった。この東京の街中で今どきめずらしいそれは昔ながらの八百屋さん。店の両隣にはスーパーマーケットと最近話題の新鋭惣菜屋チェーン店が構えている。マーケティングのテキストならば、消費者はスーパーの豊富な食材と有機野菜使用のお洒落な総菜チェーン店で胃袋を満たすことなっていそうなものなのに、その八百屋さんは、なかなかしかし繁盛していた。安くて新鮮な品を揃えるという当たり前のことを当たり前に実践していたから。その日の本当にお得な野菜を父親は的確に仕入れてくるようだった。だから品揃えはその日によってまちまちで、それがまたいいところだ。

僕が都内に引っ越してきて3ヵ月になる。始めの1ヶ月はその八百屋さんには見向きもしないで両脇のスーパーマーケットと惣菜チェーン店で食を賄っていた。間に挟まれたその古びれた店構えをどこか鼻で笑っていたところがあった。しかし、ちょっとしたことから一度、二度とその八百屋さんで買い物をするうちに、すっかりその八百屋さんを気に入ってしまった。飽くなき経営の効率化、利益追求型フードビジネスとは合い入れぬ、昔ながらの「自分の取り分をわきまえ、こじんまりと良心的な商いをする」というこの家族の姿勢は品物の野菜を通してきちんと顧客に伝わるものなのだ。先日、こんなことがあった。

店先に一玉180円と書かれた大きなキャベツが積まれていた。キャベツは欲しかったけれど僕は一人暮らしなので一玉は大きすぎる。だから、その日、母親に代わってレジに入っていた娘さんに半玉で売ってもらえないかと頼んでみた。そうしたら、その女の子は、

「お父さーん、これ半分に切ってくれる?」

って店先でオレンジを並べていた父親を大きな声で呼んだ。父親は大きな包丁を取りだすと半分に切って無言で半玉キャベツを娘に手渡した。娘は23、4歳くらいだろうか。髪はきちんと品よくカラーリングしていて、明るいパープル系のアイシャドウがかわいい女の子だ。僕はその女の子がお客さんのいる中、大きな声で父親を「お父さーん」って呼んだことにドキッとした。それはとても新鮮な響きだった。だって、もし、

君が20歳代の女の子だったら、人前で大きな声を出して「お父さん」って呼べる?
あなたの娘は自分のことを「お父さん」って元気よく呼んでくれます?

僕に言わせればこれもこの八百屋さん繁盛の立派な要因だ。いつの日か、消えゆくことがわかっていても、いつまでもがんばってほしい昔ながらの八百屋さん。

hanalei malte 著「life, love, and the internet」

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