秩序、無秩序、そして革命
僕たちの社会、それは表面的には秩序を求めているように見えるけれど、その影で僕たちは得体のしれない無秩序をも欲して止まない。マーケットは希望的秩序のもとに上昇を続け、希望は虚構の権化だと気づいてときに暴落の憂いをみる。革命を成し得た指導者は「英雄」と賞賛され、その革命に倒れた指導者は「暴君」と蔑(さげす)まれる。ひとつ間違えばどちらも独裁者のようなものなのに。国家は民を抑圧、締め上げた秩序をもってして虚像国家を醸造する。抑圧された民のパワーは蓄積されやがて飽和点を超えてその地に革命をもたらし新しい国家に息吹を吹き込む。ベルリンの壁を叩き壊したあの頃のパワーはやがて大ソビエト(Soviet、あぁなんて懐かしい響きなのだろう)をも分断した。それはあまりに衝撃的だったけれど、今となっては夢と希望の資本主義自由経済も成れの果て、ロシアの民は共産主義の緩慢な日々を懐かしがりさえしているというのだ。月の満ち欠け、潮の満ち引き、大潮の夜、この地球上で多くの生物が我が子を大海に解き放つ。海から進化したヒトは月のリズムで受胎し、陸で営むはずの生物なのに、それでも尚、母なる子宮の大海において我が子を宿しているのだ。
僕は時々思う。この世のどこかに秩序時計の国があるんじゃないかと。その国には、この世のありとあらゆる秩序を司るすべての時計が並べてあるんだ。鹿脅し(ししおどし)がカクンと鳴る度に、この世のどこかで秩序が崩壊し、民が革命に立ち上がっているのかもしれない。きっと君自身の秩序時計もそこにはきちんとあって今も時を刻み、ある日ある時、君にささやかな革命の瞬間を告げることになるだろう。
hanalei malte 著「life, love, and the internet」