クルーグマン教授、僕たちの21世紀経済(社会)って?

クルーグマン教授、僕たちの21世紀経済(社会)って?

「アメリカ経済の生産成長性は第二次世界大戦後25年間で2倍になった。そしてベトナム戦争後の15年間はどうかと言うと、実はもう10%も上昇しなくなっていた。そう、われわれアメリカ人は今、『期待しない時代』に生きているんだ。以前のように普通に働いてさえいればお給料が増えていく、そういう右肩上がりの時代は終わったんだ。・・・ところがね、アメリカ社会においてこの現実は決してすべての人々に平等に降りかかっているというわけじゃない。つまり、アメリカ社会においては所得配分の偏りが激しいということ。この期待しない時代においても、金持ちはよりたっぷりと金持ちになっているし、貧乏人はさらにじりじりと貧乏というコーナーに追い込まれている。そして金持ちでも貧乏でもない多くの人たちの懐具合は相も変わらずといった感じ。非熟練労働者の稼ぎは減り、高度技能者の稼ぎは増え、・・・」

雇用と失業、貿易赤字、インフレ、・・・、クルーグマン教授のアメリカ経済解説はさらに続いた。

その夜、僕はその本を読んでいて「やれやれ、やれやれふぅー、」って気持ちに襲われたんだ。同時に、体中が停電したようになって頭の中のモーターみたいな動力がその時、プシューッと止まってしまった。それっきりだった。それから二週間、自由になるすべての時間を布団の中での眠りに費やしている。僕は勤め人であるので日中はオフィスで仕事をしているのだけど、ノルマとしての仕事と最低限の食事、入浴とトイレ以外はずっと眠っている。仕事から戻り夜の七時には床につく毎日。布団の中の眠りこそが僕の世界のすべてだ。凄まじく寂しいやるせなさにスッポリ包まれ、同時にこんなにも優しい気持ちになれる自分に愕然とした。人に会うことも電話に出ることもなく、自分自身を確かめることさえできないままにひとり深い底で浮遊しているような時間が怠惰に進行する。深い闇の中にクルーグマン教授は現れて、今夜も話し続けるんだ。

時折、僕はピーンと感じる。うーん、なんかこれって僕たちの日本社会がこれから辿る道じゃないの?もちろん、アメリカと日本では事情が違うし経済の細かいことはわからないんだけど、でも「株式会社ニッポン」が終焉して次に日本が向かっている先というのは「アメリカ曰く型グローバルスタンダード」なんでしょ?規制緩和、能力主義、そういうものは確実に社会や経済の諸指標をアメリカ社会に近づけていくんじゃないの?そう思うんだよ。そうするとね、僕の将来なんてもう先が見えちゃってるわけ。「期待しない時代」において、いいとこ懐具合はとんとん、下手すりゃどんどん貧乏になって行くんだよ。まぁこれはかなり高い確率で当たってしまう予想だろうね。ふぅー、そういうことなんだよ。今日の経済学において、人の豊かさは「消費額」で決められる。人の豊かさを心で計ろうとがんばったって、やっぱり人はパンのために生きるという側面を拭い去ることはできないんだし。僕は一刻も早く、このクルーグマン教授の講義を抜け出してしまいたかった。経済学より社会学の領域で、そしてできることなら哲学の世界でパンをムシャムシャと食べ続けたいんだ。

いつか目覚まし時計のベルは鳴る。貧乏な世界、裕福な世界、そしてそのどちらでもない世界、とある世界のとある部屋で僕は目覚め、顔を洗い、髭を剃り、歯を磨き、そして一日をスタートするだろう。どう生きる?まだまだ答えなんて出てきやしなかった。

もうしばらく眠らせて欲しい。

hanalei malte 著「life, love, and the internet」

タイトルとURLをコピーしました